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大鏡


大鏡卷之一

   五十五文德天皇

   五十六淸和天皇

   五十七陽成院

   五十八光孝天皇

   五十九宇多院

   六十醍醐天皇

   六十一朱雀院

   六十二村上天皇

   六十三冷泉院

   六十四圓融院

   六十五花山院

   六十六一條院

   六十七三條院

   六十八後一條院

〈如元〉〈如元〉〈如元〉を見たまへて

     五十五代〈或る本に云ふ、田邑帝と申す。〉

〈灌頂せさせ給へり。〉

     五十六代〈この御門御かたちめでたく御心いつくし。〉

つぎのみかど、淸和天皇と申しける。御諱惟仁、文德天皇の第四のみこなり。御母は明子〈皇太后宮〉〈元日御元服なり。〉御年十五なり。世をしらせ給ふ事十八年。〈貞觀十八年十一月廿九日、染殿院にておりさせ給ふ。元慶四年十二月四日うせさせたまふ。御歲三十一。〉〈天安二年つちのえ〉とらの年八月廿七日にぞうせさせたまふ。みさゝきたむらといふところにあり。〈天安以下四十二文字イ無衍歟〉御ものゝけのかなはざりけるこそ心うくは。今生寇なり。天安二年に唐よりかへりたまへり。

     五十七代〈この御門ものぐるほしくおはしましたりといへる本あり。〉

〈元慶八年二月四日、おりさせ給ふ。御年十七、二條院におはしましけるとぞ。〉

     五十八代

次の御門、光孝天皇と申しき。御諱は時康、仁明天皇の第三の王子なり。御母贈皇太后宮澤子〈或本に仁和三年八月廿六日うせさせ給ふ。御とし五十八。〉

     五十九代〈この御門業平の中將と相撲とりたまひて、負けてかうらん破れたることあり。おもひ人の時なり。〉

年。寬平元年つちのとのとり十一月廿一日つちのとのとりの日、賀茂の臨時祭はじまる事この御時よりなり。使右近衞中將時平。 〈北野の御かたき 、本院のおとゞの御事なり。〉

  「ちはやぶるかものやしろのひめ小松よろづ代ふとも色はかはらじ」。

〈如元〉

     六十代〈今の聖代桓算の事北野の御事をぞ世の中に申しつたへためる。〉

次の御門、醍醐天皇と申しき。御諱敦仁。是亭子太上法皇の第一の王子におはします。御母贈皇太后宮胤子と申しき。內大臣高藤〈此人は勸修寺の氏のはしめ〉

  「一とせにこよひかぞふる今よりはもゝとせまでの月かげを見む」

とよむぞかし。御かへし、御門のしおはしましけむかたじけなさよ。

  「祝ひつることたまならばもゝとせののちもつきせぬ月をこそみめ」。

御集など見給ふるにぞ、いとなまめかしうかやうの方さへおはしましける。〈延長八年九月廿五日おりさせ給ふ。おなじ八日うせさせ給ふ。陵山科にあり。後の山科といふ。この時ぞかし。〉

     六十一代〈將門純友が事この時なり。〉

次の御門朱雀院天皇と申しき。御諱ひろあきら。これ醍醐の御門の御〈第歟〉〈或本に廿四にて御すけ、天曆六年八月十五日うせ給ふとあり。御とし三十七、陵鳥邊野にあり。〉

  「松もおひまたもかげさ〈こけむイ〉すいはしみづゆくすゑとほくつかへまつらむ」。

     六十二代〈天曆聖主此也。殿上有和歌會。〉

次の御門、村上の天皇と申しき。御諱なりあきら。これ醍醐の御門の第十四の皇子なり。御母后朱雀院の御同じ腹におはします。この御門、延長四年丙戌六月二日生れさせ給ふ。〈桂芳坊にて生れさせ給へるとぞ。〉〈ある本に庚保四年五月廿五日うせさせ給ふ。御年四十二。御陵村上。〉〈御めのとも〉〈五字衍歟〉大輔の君といひける女房のかくよみて出したりける、

  「わびぬれば今はたものを思へどもこゝろに似ぬはなみたなりけり」。

又御法事はてゝ人々まかりいづる日もかくこそはよまれたりけれ、

  「今はとてみ山をいづるほとゝぎすいづれの里になかむとすらむ」。

     六十三代〈この御門に、元方のものゝけおはしまして、あさましかりしと、ある本に。〉

     六十四代〈寬和元年八月廿九日出家。年三十七。御名金剛法。同二年三月廿二日於東大寺受戒。正曆二年二月十二日崩。年三十二。同月十九日葬圓融寺北原、量御骨於村上陵傍。〉

〈御中に爲平の宮生れたまへり。うちつゞきはこの本のひが事なり。〉いとやんごとなき御宿世なり。御母方のおほぢ出雲守從五位下藤原の經邦といひし人なり。末の

     六十五代〈諱師貞。寬弘五年二月八日崩。四十一。〉

〈或本に、寬弘五年二月八日うせさせたまふ。御年四十一。〉

     六十六代

〈或本に、寬弘八年六月十三日おりさせ給ふ。同月の廿二日うせさせ給ふ。御年三十二。〉

     六十七代

〈か脫歟〉。ことに人の見奉るには聊變らせ給 〈寬仁元年五月九日うせさせ給ふ。御年四十二。〉

     六十八代

  「「あきらけきかゞみにあへば過ぎにしも今ゆくすゑのことも見えけり」」

といふめれば、世繼いたく感じて、あまた度ずじてうめきて返し、

  「「すべらぎの跡もつぎつぎかくれなくあらたに見ゆるふるかゞみかも。

給へるたぐひあまたおはすめり。さやうのたぐひ七人 〈或本十人〉〈をぢとも〉右大臣從一位藤原良房のおとゞ太政大臣になり給ふ。御年五十 〈御門ながらうせ給ひぬればいみななし。〉

大鏡卷之三

   枇杷左大臣仲平 基經次郞

   貞信公忠平 基經四郞

   淸愼公實賴

   廉義公賴忠

   小一條左大臣師尹

   九條殿師輔

     左大臣仲平

このおとゞは、これ基經のおとゞの次郞御母は本院の大臣におなじ。大臣の位にて十三年ぞおはせし。枇杷左大臣と申す。御子もたせたまはず。伊勢が集に、

  「花ずゝきわれこそしたに思ひしかほに出でゝ人にむすばれにけり」

などよみ給へるはこの人におはす。貞信公よりは御兄に當らせ給へど、二十年まで大臣になり後れ給へりし。遂になり給へれば、おほきおほい殿の御よろこびの歌、

  「おそくとくつひに咲きぬる梅の花たがうゑおきし種にかあるらむ」。

  「人しれずやみなましかばわびつゝもなき名ぞとだにいはましものを」。

     太政大臣忠平貞信公

〈天曆三年八月十四日うせさせたまふ。御年七十。〉 〈こ脫歟〉〈天曆三年八月十四日にぞうせさせ給ひにける。正一位贈せさせたまふ。〉

     太政大臣實賴〈小野宮殿。安和三年五月十八日薨、七十一、贈正一位。〉

これ忠平のおとゞの一男におはします。小野宮のおとゞと申しき。御母寬平法皇の御むすめ。大〈これはみちのくにの守のめになりて御めのとの若君のがりとて御馬をまゐらせたるとぞ。〉あづまの方よりうせ給へりともしらで馬を奉りたりければおとゞ、

  「まだしらぬ人もありけりあづまぢに我もゆきてぞすむべかりける」。

〈如元〉 〈ためみつの〉〈是は二郞とぞ。大よしとも。〉〈おい大納言ときこゆ。經通、資平の母は源中納言保光の女子。〉〈賢人右大臣の事なり。九十三にてうせ給ふ。〉こ のおとゞの御子のなきなげきをし給ひて、我が御をひの 〈大納言のことも。今の殿の中將あきつねのおほち。〉資平の宰相を養ひ給ふめり。 〈顯實宰相のおほち〉〈今の中宮權大夫のうへは、かくやひめのことなり。〉

     太政大臣賴忠

〈天元五年壬午三月五日后に立たせ給ひき。〉

  「をぐら山あらしの風のさむければもみぢのにしききぬ人ぞなき」。

     左大臣師尹

〈安和二年五月右大臣になり給ひ、大將かけ給ふ。十月十四日うせさせ給ふ。御年五十。〉

  「生きての世しにてののちの後の世もはねをかはせる鳥となりなむ」。

御かへし、女御、

  「秋になることの葉だにもかはらずばわれもかはせる枝となりなむ」。

〈はイ〉 〈いきふとこそかしやイ有〉 〈な脫歟〉おぼしめしそ」と啓し給ふに、「さらば唯ほいもあり。すけにこそはあなれ」とのたまはするに「さまで思しめすことならばいかゞは。ともかくも申さむ。內に奏し侍りてを」と 〈如元〉

  「雲ゐまでたちのぼるべき烟かとみえしおもひのほかにもあるかな」

〈是高倉の宮の御おほぢなり。〉 〈これは大二條殿の北方。〉 〈甲斐前司師季が先祖しなのゝいかうこそはあれどほふしなれば。〉

大鏡卷之五

   攝政謙德公伊尹

   攝政忠義公兼通

   恆德公爲光

   仁義公公季

   攝政大入道殿兼家

      已上九條殿息

     太政大臣伊尹のおとゞ

  「くればとくゆきて語らむあふことのとほちの里のすみうかりしも」。

御かへし、

  「逢ふことはとほちの里にほどへしもよし野の山とおもふなりけむ」。

助信の少將、宇佐の使にて下られしに、殿上にてはなむけに菊の花のうつろひたるを題にて別の歌よませたまへる、

  「里とほくうつろひぬとかきくの花をりて見るだにあかぬこゝろを」。

  「しかばかり契りしもの〈ことイ〉をわたり川かへるほどには忘るべしやは」

とぞよみ給へりける。いかなる心ちし給ふ、悔しくおばしけむな。さてのちほどへて賀緣阿

  「時雨とはちぐさの花ぞちりまがふなにふる里に袖ぬらすらむ」

などうちよみ給ひて、又誦し給ひける、

  「昔契蓬萊宮裏月

   今遊極樂界中風」

とぞのたまひける。〈この民部卿心うるはしくして、おほやけにつかまりしにより、ゑんまわうくうに生れたると夢に見えたる人なり。〉給へれば、濱づらに石のあるを御枕にて大殿ごもりたるに、いと近くあまの鹽燒く煙のたちのぼる心ぼそさ、げにいかにあはれにおぼされけむな。

  「旅の空夜はのけぶりとのぼりなばあまのもしほ火たくかとやみむ」。

  「こゝろみにほかの月をも見てしがな我が宿からのあはれなるかと」

などは、この御有樣に思し召しよりける事とも覺えず、心苦しうこそさぶらへ。さて又冷泉院にたかんな奉らせ給へるをりは、

  「世の中にふるかひもなき竹の子はわがへむ年をたてまつるなり」。

御かへし、

  「年へぬるたけのよはひは返してもこの世をながくなさむとぞおもふ」。

〈如元〉

     太政大臣兼通のおとゞ

  「ことに出でゝ心のうちにしらるゝは神のすぢなはぬ〈ひイ〉けるなりけり」。

〈如元〉 〈この堀川の攝政の御末おひさらずこそあれいみじうしどけなかりけることかな。〉

     太政大臣爲光のおとゞ

〈なイ〉ど弟には人がら世おぼえの劣り給へればにや、大納言あくきはに我もなられなむとおぼして、わざとたいめし給ひて、「この度の大納言のぞみ申し給ふな。こゝに申 〈ひ歟〉

     太政大臣公季

     太政大臣兼家のおとゞ

  「歎きつゝひとりぬる夜のあくるまはいかにひさしきものとかはしる」。

いと興ありとおぼしめして、

  「げにやげに冬の夜ながらまきの戶もおそく明くるはくるしかりけり」。

大鏡卷之七

   太政大臣道長

     太政大臣道長

〈如元〉 〈如元〉 ひしをり、されど御耳とゞまりて聞かせ給ふらむとおぼえしかど、その大饗のをりの事ども、大納言の座しきそへられしほどなど、語り申せ 〈如元〉

  「そのかみやいのりおきけむ春日野のおなじ道にもたづねゆくかな」。

御かへし、

  「くもりなき世のひかりにや春日野のおなじ道にもたづねゆくらむ」。

かやうに申しかはさせ給ふほどの、げにげにと聞えてめでたく侍りし。中にも大宮のあそばしたりし、

  「三かさ山さしてぞきつるいそのかみふるきみゆきのあとを尋ねて」。

とせの北の政所の御賀によませ給へりしは、

  「あかざり〈りなれイ〉しちぎりは絕えて今更にこゝろけがしに千代といふらむ」。

  「おと宮のうぶやしなひをあねみやのやしなふ見るぞうれしかりける」

〈つイ〉

一 房前のおとゞの四男、眞楯大納言、稱德天皇の御時、天平神護二年三月十六日にうせ給ひぬ。御年五十二。贈太政大臣。公卿にて七年。〈年中行事、十二日うせ給ふとあり。〉

一 眞楯大納言の御二郞、右大臣從二位左近衞大將內麿の大臣、御年五十七。公卿にて二十年、大臣の位にて七年。贈從一位左大臣。桓武天皇、平城天皇二代にあひ給へり。

一 內麿大臣の御三郞、冬嗣大臣は、右大臣までなり給へり。贈太政大臣。この殿よりつぎさまざまあかしたればこまかに申さじ。

〈さ脫歟〉すゑ奉り給ふ。さてやがて福緣讃經一千卷供養し給 〈或本に、源氏の內の大臣公卿日のうちに十一人うせ給ひにけりとあり。〉

一 冬嗣大臣の御太郞、長良中納言は、贈太政大臣までなり給ふ。

一 長良大臣の御三郞、基經のおとゞは、太政大臣までなりたまふ。

一 基經大臣の御四郞、忠平のおとゞは、太政大臣までなたまりふ。

一 忠平大臣の御次郞、師輔大臣は、右大臣までなりたまふ。

一 師輔右大臣の御三郞、兼家大臣は、太政大臣までなり給ふ。

一 兼家大臣の御五郞、道長大臣は、太政大臣までなりたまふ。

  「年をへてまちつる松のわか枝にうれしくあへる春のみどりご」。

一 內大臣鎌足のおとゞの御女二所、やがて皆天武天皇に奉り給へり。をとこ女みこたちおはしけれど、御門東宮立たせ給はざめり。いみななし。

〈或る本、又高野女帝の御母后生き給へる世に后に立ち給ひて其の御名を光明皇后と申すとなり。聖武の御母も坐しましゝ世に后となりて、贈后と見え給はず。〉

一 贈太政大臣冬嗣のおとゞは、太皇太后順子の御父、文德天皇の皇祖父。

一 太政大臣良房のおとゞは、皇太后宮明子の御父、淸和天皇の御おほぢ。

一 贈太政大臣長良のおとゞは、皇太后宮高子の御父、陽成院の御祖父。

一 贈太政大臣總繼のおとゞは、贈皇后宮澤子の御父、光孝天皇の御おほぢ。

一 內大臣高藤のおとゞは、皇太后后胤子の御父、醍醐天皇の御祖父。

一 太政大臣基經のおとゞは、皇后宮穩子の御父、朱雀天皇幷に村上帝二代の御祖父。

一 右大臣師輔のおとゞは、皇后宮安子の御父、冷泉院幷に圓融院の御祖父。

一 太政大臣伊尹のおとゞは、贈皇后宮懷子の御父、花山院の御祖父。

一 太政大臣兼家のおとゞは、皇太后宮詮子幷に贈后の御父、一條天皇幷に三條天皇の祖父。

一 太政大臣道長のおとゞは太皇太后宮彰子上東門院、皇太后宮姸子、中宮威子、尙侍嬉子、春宮の御息所の御父、當代幷に春宮の御祖父に坐します。こゝらの御中に后三人並びすゑて見奉らせ給ふことは、入道殿より外に聞えさせ給はざめり。關白左大臣、內大臣、大納言二人、中納〈如元〉〈うイ無〉

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